【スピリチュアルを頭で捉えない1】「~ねばならない」はダメなのか?

大阪市谷町九丁目の清風ヒーリング整体院のブログです。

【スピリチュアルを頭で捉えない1】「~ねばならない」はダメなのか?←今ここです
【スピリチュアルを頭で捉えない2】すべての人に当てはまる言葉なんて無いです
【スピリチュアルを頭で捉えない3】謙虚が過ぎても自信の無さにはなりません

 
yukari14

 
=====以下、2013年6月12日に推敲しました======

先日、演歌歌手の友人M(女性)から電話があって、
うちのすぐ前のカラオケボックスに大勢で居るから来いとのこと。

一応、息子も誘ってみましたが、行かないと言います。
知らん大人の中で(しかも演歌メンバー)
楽しめないと思ったのでしょう。

「あ、でも待って!チホちゃん来てる?
来てるんやったら、僕、行かなあかん。」
(チホちゃんは、Mの娘で小学生。息子とは、
チホちゃんが幼稚園児の時に何度か会っています。)

「大人の中に子供一人でおるんは、つらいねん。
だから、面倒見に行くわ。」

息子よ。やさしい子に育ってくれて、ありがとう。

「だって僕、昔つらかったもん」
(ハイ。私のせいです。ごめんね。)

苦労や寂しさを経験したから、
そういう思いやりが育ったんだと思います。

そういえば、先日テレビで耳の聞こえない少女たちによる
千手観音の踊りの紹介があって、
その演出家が、「悲しみを知らないと表現できない」
って言ってたけど、

悲しみ、苦労、心の傷、トラウマ、寂しさ等々・・・・
ネガティブといわれるものは、
悪いものでもなんでも無いです。

多いより少ないほうが本人が楽なのは確かですが。

多すぎて本人が苦しすぎたり、
それによって周囲も苦しいような時は、
減らす努力をしたほうがよいかもしれないし、
今まで必要だったけど、手放すときが
来る時もあります(徐々にだったり、ある日突然だったり)

手放した時、感情は手放しても、
貴重な経験は「宝石」として残ります。

悲しみや寂しさなどは、浅い時も深い時も、
人間、長い人生の中で、いろいろあるけど、
決してそれは、馬鹿にしたり批判したり、見下したり、
恥ずかしく思うことでは、無いのだということです。

人に対しても自分に対しても。
ネガティブは、いけないもので、必ずしも、
すぐに手放さないといけないというものでもないし、
あっちゃいけないって思ってごまかして見ようとしないと
かえって歪みます。

かといって、
ありのままで良いのよ~って、
感情をむき出しにすればよいか?
というと、それはただの自己中です。

スピリチュアルブームはもう過ぎましたが、その中で
経験や体験からくるものではなく、
活字や人の話のみでわかった気になっていたり、
自分に都合のよい捕らえ方をして、
「本当の楽」ではなく、「安っぽい楽」を求める傾向が
多いような気がするのは
私だけでしょうか。

●ちなみに、息子は、「(面倒を見に)行かなあかん。」
という表現をしました。
最近あちこちでよく「捨てましょう」と言われる
「~ねばならない」です。

小学生の面倒を見るのは、
演歌世代の大人の中に、ひとり中学生がまじるよりマシとはいえ、
わざわざやりたい楽しい仕事ではありません。
(実際、息子は見たいテレビがありました)

「ほっとけない」という、義務感、半分。
後半分は、同じようなつらい思いをする子の気持ちがわかるから、
(親にもわからんかったわ。すまん(汗))
僕が役に立てたら嬉しい、という気持ち。

人の役に立つことによる、自分の存在価値の確認。
どっちもある意味、エゴかもしれません。

でも私は素敵と思いました(親ばか?)
わざわざやりたい楽しい仕事ではないが、
「そうしたい」と思ったのは確かです。

だから、大いに評価したいと思います。
「~ねばならない」という気持ちも。

●おまけの話
結局、チホちゃんは来ていなかったので、息子は行かなかったのですが。

私が出かけようとすると、
息子「お母さん、ちょっと待った!」
「?」の私の口にガムを入れる息子。
息子「ニンンクくさい」(直前に食べていたスパゲティのせい。)

息子「チラシ持ったか?」
「今日は踊ったらアカンで」
君は、マネージャーか・・・。

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清風ヒーリング整体院 吉田淳香 
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