【お客様の声】癌が消えた経緯2

お客様の声

===大阪市 40代主婦 2009年10月19日泉谷先生と私のコラボ施術後、10月30日ご本人からのメールより===

最初、淳香先生から「ガン、消えるかもしれないよ」と言われた時は、そんなことがあったら嬉しいけどないだろうな・・と漠然と思いました。

淳香先生と泉谷先生の治療を受けてから、だんだんと気持ちが変わっていったのはもちろんなんだけど、

私自身の気持ちの変化を自分で観察してて思ったのは、「ガンが消える、治る」ということよりも、他にもっと何か違うところに気持ちが向いているなあということでした。

確かにガンが消えれば良いのだけど、

人は切羽詰まった時ならどんなことでも、例えば「これが治ったら世のため人のために尽くします!」とか「他の人の力になりたいから、このガンが消えることで私に使命を与えてください!」とか痛い時の神頼みで誓ったり祈ったりするでしょう。

救われたい一心で、その時は改心もするし、過去の自分を振り返って反省もするでしょう。

これからは生まれ変わった気持ちになって・・とも思うかもしれません。

でも、この気持ちの大きな前提として、「治ったら」というのがあり、じゃあ治らなかったら何もしないのか?と私自身はちょっと自分に対して思ったりしたわけです。

ガンが消えて、ガンが「なかったこと」になればそれでいいのかなあと。

たとえもしこのまま手術となったとしても、すっかり元気になった後なら、人間、喉元過ぎれば何とやらで、せっかくの改心(笑)も忘れてしまうかも知れない。

元気になった後でなら、穏やかな気持ちで闘病を振り返り、「この病気には大きな意味がありました」と言えるかも知れないけど、私はそうではなくて、今それを考えたいと思いました。

ガンの告知を受けたあとの人間というのは、普通なら不安のまっただ中にいるはずなのに先生達のおかげでこういう機会を与えて貰ったのだから、ガンを絶対治す!というような方向には気持ちを集中せずに、また、助かりたい一心で「これから人の役に立つように生きます」などと見栄を張ったりせずに

過去の自分のことや、これまで見ないふりしてきたこと、棚に上げて忘れた気になっていること等々、もうほんとうにいろんなことに(ひとつひとつは細かいことなんだけど)あらためて思い巡らせていました。

そうしたらふいに、

自分にはまだまだ出来ることがあるよなあ・・と何て表現したらいいのか分からないのですが、文字にするとよくある普通の言葉なんだけど頭や心の中に湧いてきた気持ちとか気づいたとかじゃなくて

ドカンと直接何かが、雷が落ちたようなビリビリするような感覚になりました。

その時自転車に乗っていたので、ちょっと足が止まってしまいました。自分には出来ることがある!と自覚するなんて、ごく当たり前の感情なのかも知れません(^^;)

よほど人生が停滞していたのかなあ???

これを「何かのオーディションに受かったような気持ち」としか言えなくてはがゆいのですが。。

あとはもう、ガンでもガンでなくてもどっちでもよくなってしまいました。

あとはもう、ガンでもガンでなくてもどっちでもよくなってしまいました。これはガンの宣告を受けたからこそ得られたものであっただろうし、淳香先生、泉谷先生や、いろいろな偶然がくれたチャンスなのだと思うし、

とにかく、人生でこれほどに満たされた気持ちで過ごしたことはありません。

(中略)

淳香先生から前回もらったパソコンメールの中の

『他人の役に立つ』という事は、借金が減るという事(=償いができる)と考えたら、喜んで手放せるのかも?過去生からひきづっている無意識の罪悪感、そこから来る焦燥感や自分を責める気持ちを手放すには、そういう理解があるといいなあ

この言葉は私の中で大きなきっかけになりました。

頭ではわかっていても、これまで体がわかっていなかったというか・・。
例えば誰かに感謝されても「私が好きでやってるからいいんですよ」
みたいな受け取り方をすることが多くて、

本音では感謝されれば素直に嬉しいし、人のためにあれこれするの好きなんだけどその本音を押さえつけていたなあという気がします。

ちょっと長くなるんですが・・

実は10年ほど前に知り合った女性の中に、「ひとのため」と言いながら実は他人を利用していた人がいて、その人のことを尊敬してたんだけど、私は3年前までそのことに全然気がついてなくて、ひどくショックを受けたという事件がありました。

(中略)

この事件がね、私にとっては大きかったです。もともと人からの感謝を素直に受け取れない性格のうえに、「人のため」って一体なんなのかって、そんな綺麗事言っても心のどこかに人は(自分も含めて)見返りを求めているのじゃないかとか、いろいろ考えたなあ。なので、

あらためて考える機会が持てたことを自分の病気にとても感謝しました。

淳香先生に会えたからそこまで考えることが出来たわけなんですが。

いやらしい心根の人は世の中にたくさんいるかも知れないけど、

自分がそのせいで心折れたとしても、自分なりの「人のため」というのは守って行かなくちゃいけないなあって。スネてるだけじゃだめだな。そのためにはもっと受け取ることに関して素直にならないとアカンな、とか・・。

======転載ここまで=====

感想と掲載許可をありがとうございます。

当院院長の思い

「人のため」というのはとても難しい言葉だと思います。

人のために何かをして感謝をされた時に「いいえ、どういたしまして」ではなく

「こちらこそありがとう」といえる「人のため」ができたら理想かな?と考えています。

人の役に立ってるつもりで実は「ありがた迷惑」もしばしば。

その前に「人の嫌がる事をしない」が先と思いますがこっちの方が難しい。
皆、知らず知らずにやっているわけで。

知っていてもなかなか止められなかったり。

逆に自然にやってる事が知らず知らずのうちに、人の役に立つこともあり。そして誰かの役に立つことは自分が嬉しい、結果、自分の為だし、自己満足でもあり。実際に役に立ったとして、それができた背景を考えると、自分一人がした事など何もないわけです。

それなのに、なんだか勘違いしている人を見ていると拒否感を感じ「違うやろ!」と突っ込みたくなる私ですが彼女の場合は、そういう人とは又違って、逆方向に偏っていたんですね。

『偏り方』は人によって違うので、アドバイスや修正の方向も、人によって違いますね。