スピリチュアルブームの弊害

タイトル2

「本当に大事な事というのは…言葉で先に聞いてしまうと、(頭でわかったつもりになってしまい)体験から得る時のじゃまになる」

スピリチュアルという言葉は使う人によって意味も違うし、私もいまだになんだか良く分からないけれども「霊的な」と訳すらしい。

霊的な進化=そのためには、私は「本当の自分に気づくとか」「自分を掘り下げる事」と思っていて(オーラだの過去世を知るだのは含まれるがイコールではない。単なるツールの一つであって、方法はいろいろあるし、ツール自体が重要な訳ではない)

まあそんなふうに私はとらえていて、そういう意味でスピリチュアルという言葉を使ってよいならば、スピリチュアルに興味の無い人の方がずっとスピリチュアルだったりね。

そんな広い意味での私のスピリチュアルの一番最初の師匠は、吉本伊信先生(内観という修行法の創始者)である。

冒頭に赤字で書いた言葉は、その吉本伊信先生からお聞きした言葉。

私は吉本伊信先生の所で、何の知識もなく、いきなり貴重な体験をさせて頂けた事が…本当に有難く、冒頭の言葉は本当にその通りだと思ったので、その後もスピリチュアルとか人間の生き方みたいな本は読まずに来た。

人生の中で解決したい事が出てくると、その事をいったん棚にあげ、自分の事を掘り下げるために、その時に縁のある場所に出かけ、体験しながら、感じてきた。

今はスピブームは去ったけれども、冒頭に書いた弊害は随所に見かける。

そして私は私で、体験はすでに過去の事であって「喉元過ぎれば熱さ忘れる」なのに、すっかり油断して頭でわかったつもりになっている。

人間ってやっかいなものだ。

まあ、だからこそ人間やってるんだけども。まあ。ボチボチ行こか。