真の安らぎの境地

yukari3


昨日、たまたま、とある所で目にした文章。
「コンサートや趣味に行っても、真の安らぎは得られない。

真の安らぎを得なければ」
ドキッ!とした。
私にあてはめると
「飲み会やカラオケに行っても真の安らぎは得られない。

真の安らぎを得なければ」
(「~~しなければ」「ねばならない」は
捨てたほうが良いという人がいるけど、
当てはまる場合もあるけど、私は必ずしもそうだとは思いません。
ねばならない=本当にやりたい・欲しい事の場合もあります。

その表現は「○○したい」というよりも、
強い魂の衝動なのかもしれません)

ああ。そうだった。
私は、「真の安らぎの境地」ここへ行きたいんだった。
(戦わないことも同じ意味)

自分に都合の良いことが起ころうが都合の悪い事が起ころうが
その心境に居る。
そこへ行く為に、今、生きているんだった。
それが欲しくて、いろんな事やってるんだった。

忘れてた。思い出した。嬉しかった。
(あ、でもカラオケや飲み会は行くけどね。それはそれ(笑)

「真の安らぎの境地」は瞬間的にはある
(持続性はなく、上がったり下がったり。)

あと、程度の問題もある。できたと思ってもキリは無い。
それはどんな人でも、人である限りそうだと思う。
(「私はいつでもMAXで出来ている」と言う人がいたら、
かえって信用できない)

良い。良い。

上がったり下がったりしながら、時間かけてやっていくことだ。
昨日、原点の再確認ができて良かった。
そうしたら何故か嬉しくて夕べ布団の中で、
自然と一人でニコニコ笑っていた。

●で、今日、お客様と話をしていたら、同じ意味なんだけど、
もう少しわかりやすい言葉を言って下さった。

(自分に都合の良いことが起ころうが都合の悪い事が起ころうが)
【 腹の据わった女になる。】

そう!それ、それ!