高校生から「なぜ人は生きるのか」を取材されました(滝汗)

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以前に来院してくださったことのある高校生A君が、課題研究で「なぜ人は生きるのか」というテーマで、私に取材をしたいということで来てくださいました。

こ、光栄なんですが、き、緊張、、、つか、え? 息子いわく「何そのアンパンマンのようなテーマ」君ね、そんな言い方・・・しかしアンパンマンは深いよね。
そこにヒントあるかもね。顔をあげるって言っても全部はあげない。そして必ず補充してくれる存在がある。自己犠牲ではないんだよね。

ま、それはともかく。私も真面目に考える機会を得て、A君の考えも聞かせていただき、貴重な時間を頂きました。

A君「やりたいことをやるため。それを妨げているいろいろなものを外して。」

私の心の中(凄いなあ、この人。わかってはるやん。教えてくれてありがとう。ここで終わっていい? え?取材で来てはんねんから、しゃべらなアカンのか、困ったな)

と思いつつ・・・

私「よりよい明日のため」

明日とは5分先、5年先、100年先、1000先、10000年先いろいろ含む。過去や未来を考えずに単に今を味わう事も明日に繋がるのでそれも含むし、必ずしも未来を考えている必要はないが、過去の自分が今日の自分をつくっている、今日の自分が明日の自分をつくる、その過程の中の「今」みたいな意味で。

「死を考えずに生は考えられない。

朝起きるとは生まれるみたいなもので夜寝るとは死ぬようなもので、生と死は一日のスケールの大きい奴と私は思っています。人は死んで終わりではないと私は思っているので。

死ぬまでに何をやっておきたいかな?とか、どういう死に方をしたいかな?とか、死ぬときに自分の人生を振り返ってさてどんな思いでいたいかな?とか、明日死ぬなら、今日何するか?とか、今死んだら来世どんなところへ行くことになるかな?とか考えたら、今を生きるヒントが見えて来ると思っています。

自分がいつか必ず死ぬこと、自分が明日死ぬかもしれないことは忘れやすいけど
なるべく忘れないようにする事は、今を生きやすくすると思う」

「私個人的には自分を深めるために生きてるのかなあ?(たぶん、それが快感なので)自分の深いところには、素晴らしい天使な自分も、恐ろしい悪魔な自分も、もっとたくさんあるんだろうけど、自分の浅い意識の部分では、どっちの自分も実はほんの少ししかわかっていなくって、それらを知っていくため」

A君が「誤解を解くため?」

私「あ、そうそう、それです、ナイスな言葉ありがとう。自分に対する誤解を解くため・・・そうするとA君が最初に言っていた、やりたいことを妨げているものを外すってことと重なりますね」

私「ところで、A君の決めたタイトルって『 何のために人は生きるか?』
じゃなくて、『なぜ人は生きるか?』ですよね。

『何のために?』

じゃなくて

『なぜ?』

なんですね。

A君がまだ高校生の年齢で、課題研究にその言葉を選ぶまでに、どんな体験やどんな思いがあったのか・・・。

そのことが凄いなあ、素晴らしいなあ、と思います。実は私も、同じことを考える時がありますよ。『何のために』 じゃなくて 『なぜ?』ってね。

なぜ?って聞かれると・・・

「わかりません。私が知りたいです。」ってことになるかなあ。

一生かかっても答は出ないかもだけど、一緒にゆっくり、考え続けましょうね。

A君、貴重な質問を投げかけてくれて有難うございました。