亡くなった身内との関わり

蓮の花

供養における私の考え方を書きます

今日は身内にフォーカスして書きますが先祖供養も含みますし、震災で亡くなった方に対しても…身内であってもなくて考え方としては同じです。

思いが一番の供養と考えますが、お墓参りなどの行事と矛盾はしないので並行して出来ると、なお良いと思います。

以下に書く事は、亡くなられてからある程度期間が過ぎているか、関係性が薄い場合はやりやすいです。

関係性が濃くて亡くなってからの期間が短い場合は、少し難しいかもしれません。

寂しさや悲しみが強いですし、加えて生前に、わかりあえなかったもやもや、後悔、罪悪感、依存、恨み等、他の感情もセットになっている場合もあります。

その場合は悲しみを癒す為にプロの手を借りるのも一考です(当院でも対応しております)

その上であえて書きます。

亡くなった人に対して

ありがとう

ご先祖や親や近しい方に対して

祈る人
祈る人

あなたのお陰で私がいます、ありがとう

と言うのは何度言っても供養になります。

祈る人
祈る人

あなたのお陰で、配偶者がいます、子供がいます。ありがとうございます。

遠い方に対しても

祈る人
祈る人

学びをありがとう

と言う事で故人が迷いから本来の道に気づく助けになります。

大丈夫

祈る人
祈る人

私は元気で問題ないから大丈夫

ではなく…

祈る人
祈る人

(病気が来ようが苦労が来ようが)私に来た問題は私が頑張って乗り越えていくから大丈夫だよ、心配しないで自分の行くべき所に行って下さいね。

そういう気持ちを持つ。あるいは、そう語りかける。心の中で声に出して。どちらでもOK。

頼み事はしない方が良いと私は思っています。

見守って下さい等も含みます(亡くなって一定期間はまあ仕方が無い場合もあるのですが)

亡くなった人は生きてる人よりは霊的な位は上ですが神仏ではないので頼みごとをしても困る事もあります。

あと、亡くなった人が残った人の心配等していると行くべき道に行きにくい。どうしても頼みたい場合は聞く聞かないはあちらの都合ということを忘れずに。

頼み事は神仏に対してするのが良いと思います。

神仏に対して

神仏に対して

祈る人
祈る人

より良い所へ行けるように

と頼んであげる。

神仏は自分のピンとくるものでいいでしょう。

信仰があればその神様。なければ太陽、宇宙等に対して。

気が向いた時に。きちんと座って手を合わせてもOK。ながらでもOK。

「より良いところに」というのは肉体が無くなって魂だけになってすぐに天界に行けずにさまよっている魂がキチンと天界に上がれるように、すなわち成仏しますように、という意味も含みますが。

たくさんいらっしゃるご先祖様の中には、すでに生まれ変わっている方もいらっしゃいます。

そんな方々には、そこでより幸せを味わえるように、霊的成長が進むように、ということも含んでいます。

供養というのは、光が自分にも帰ってきますので、自分にも徳が積まれます。

本人が精神性を高める努力をする

自分を大事にして明るく楽しく生きる事が身内である故人へも即、響いて、故人がより良い所へ行く助けになります。

問題がある状態が悪いという意味では無いです。最初に書いた通り

祈る人
祈る人

私に来たことは私が乗り越えることができるから心配しなくていいよ


という事です。

その人が亡くなった事で、残された人が、生と死について、あるいは人生について、あるいは神仏について真剣に考えるキッカケになる…それも亡くなった人の『徳』になります。残された人が大切な事に気づく、真摯に生きる、それ大切大きな供養です。

補足です

いろいろな考え方があると思いますが・・・・

当院では、亡くなった方との関わりに勘違いがあって、お互いにしんどい事になっているお客様が結構、来られます。

そのたびに以上のような事を申し上げ、必要があれば間に入って伝言を伝えさせて頂き、その結果、体調や現実が良くなる方がいらっしゃるのでそういう体験の上で、私はそのように思っています。

今まではそれで良かった、変えるタイミングが来たから来院されたという事もあると思います。