親子の愛情の行き違い

親は、子供に頑張って欲しいことや選択して欲しいことを、ついつい

あなたのためよ
なんて思ったり言ったりしますが…。
どうやら、子どもこそ、かなりのエネルギーで

お母さんのため
お父さんのため
を考えているみたいなのです。
なぜ、そんな事が言えるかというと、私が、お子様の施術をしたり、大人でも子供のころを扱ったりする中で、深い部分のお気持ちを引き出されることになりますが、その中で、わかってきた事だからです。
子供は子供の立場から、親に喜んで欲しくて、頑張ったり選択したりしている事がとても多いと感じています。
だから親にとっては結果がどうあろうと

よく頑張ったね

有難う
と、認めてあげる気持ちを持ち、言葉をかけてあげて、充分にそこの所が満たされて、うるおう過程を経た後に
次の段階として自分のために頑張ったり選択したり、しやすくなるではないかしら?
だから思春期以前に、結果が親の思う通りでないからといって

あなたのためなのになんで出来ないの?
っていう気持ちを向けると、子どもは次に進みにくいかもしれませんね。
お互い愛情ゆえの行き違いが起こる時があるようです。
親の立場でやっちまったかな?の場合は
私が、過去に自分の子に対してできていたかというと、うーむ・・・となってしまうのでありますが、後悔するのはおすすめしません。
親に認めて貰えないと感じて育った子供は、それはそれで、その体験が必要で、その体験を乗り越えてこそ学んだり、他者に貢献したりという人生設計をして生まれてきているので。
親というものは、愛も生きづらさも両方を与えるものであり、100%愛だけを与えることが可能なら人間卒業出来てる筈なので。
せいいっぱい子育てした自分をそれで良し!と思うことも必要かもしれませんね。
子供に与えてしまった生きずらさも、子供は乗り越えて、変わって行けると信じて頂きたいです。
ただ、もしも、お子様が「過去に、認めて貰えなくてつらかった」というお話をしてきたら、その気持ちに寄り添い、謝ってあげるのもいいかもしれないし、今後、可能な範囲で、子を認めるようにやっていけばいいと思います。
あと、親の立場で、子をうまく認める言葉をかけられなかったという場合は、親御様自身が、自分が自分を認めるという事も課題かもしれないです。
子の立場で「そうそう!だから辛かったんだ」という人へ
逆に親から認められなかったと感じて育った子供側の立場の人は、ここまでを読んで「そうそう!だから生きづらかったんだ!」と思うかもしれませんが。
まあ、確かにそうといえばそうなのですが。
意識では覚えていないのだけど、自分が生まれる前に自分が書いた人生設計で、自分が選んだ体験でもあるので。
最初は生きづらさを感じるものの、乗り越えたら、その体験があったからこその学びや、その体験があったからこその他者貢献ができる筈なのであります。
「その体験がすでに生かされた点があったのじゃないか?」とか
「今後どう生かそうか?」と考えてみるのも良いかもしれません。
生きづらさを親のせいにしているうちは、自分の人生をコントロールしずらいです。
実は、自分の課題は自分の使命(今世での係)とセットでも有ります。
自分の魂さんが、課題イコール使命に関することは、あえて与えない親を選んできている場合がございます。
トレーニングのためというか、無いからこそ大切さをより感じると言いましょうか。
今回の記事の内容で言うと「親に認めてもらった」と感じて育った人の場合は、自分を認めたり他人を認めたりするのは簡単なのですが、あくまで人レベルであり神レベルではできないのです。
すると、その人の課題と使命は、別のテーマなのでしょうね。
「親に求めて貰えなかった」と感じて育った人は、
「親の育て方のせいで自分を認められない」と一生思って過ごすのも一つの選択ですが。
そこが課題であり使命であったと気がつくと、神レベルで「人がどうやったら自分を認められるか」を可能にできるし、出来ない人を導く人になれる とも言えます。
どちらを選ぶかはご本人次第です。