実家に行くと、20年前にインドへ行った時の土産の人形と、
10年前に沖縄へ行った時の土産のシーサーが、
未だに玄関に飾られています。
母は娘からの土産をそんなに長く大事にしていてくれて…
有り難くてとても嬉しいです。
人形は服がはだけていました。
シーサーは一個は天地が逆さま、
一個は顔を天井向きでお休みになっておられました。
母は頻繁に小物をどけて拭き掃除をする習慣があります。
でも目が悪いので、 そうなるのでしょう。
へんな置き方こそが、今はもう物自体を気に入って
置いてくれてるというより、
娘に貰ったからこそ、いつまでも飾ってくれてると
いう事なのかもしれません(笑)
そんな事がかえって有り難く感じられる年齢になりましたが…
子供のころはそうは、なかなか受け取れないわけです。
私の母は物を片付けるのがへたくそですが、
拭き掃除はこまめです。
私は、物がちょっとでも斜めや反対向きに置いてあったり
片付いてないのは嫌で、その辺はこまめですが、
拭き掃除は苦手です、だって面倒だから。
置き方がおかしくても気にならず拭き掃除をせずにいられない母と
少しでも置き方がおかしいと嫌なくせに、
多少のホコリや汚れはほったらかしの私は、
感性の違いがあるのかもしれません。
前置きが長くなりましたが。
いろんなクライアントさんからいろいろお話を伺っていていつも思うのは…
愛情を渡す親と、受け取る子どもとでズレや勘違いがあるようです。
実際は子供の思う以上に親は愛情を持っていることが多いです。
お子様をお持ちの方は、自分の親としての愛情と
子供がどれだけそれをわかっているか?を
考えてみたら、自分の親の思いも、
少しは想像がつくかもしれません。
人間の脳は、自分に都合よく相手に都合悪いように
記憶を書き換えて記憶されるようにできています。
(特に親に対しては一対一の人間として見ずに、
重箱のスミをつつく見方をしてしまいます==それは甘えがあるからですが。
自分に対して頑張ってくれた部分は当たり前として流してしまうくせに、です)
冷静に振り返ってみれば……
子供のころ愛情が足りないと勘違いするのは
感性の違いも一因にあるのかも?しれません。
他にもいろんな要素がありますが、一因として。