私の原点はここです

20代の頃から、悩んだり迷ったりするたびに、 ここへ来てました。 ここより他に頼るところを知らなかったからです。
でもだから良かったと今は思っています。
ここで内観法や座禅、和尚様の導きを通じて、貴重な体験をたくさんさせて頂いた事が、 今の仕事の土台や根っこになっています。
専光坊での体験が無ければ、私の今の仕事は成り立っていません。
ヒーリングの能力とかオーラだのチャクラだのは、二の次なのです。
もちろん専門分野における技術や能力の向上努力は、 必要だし大切ですが。
今の仕事をするようになってからは、専光坊さんへ行くことが減りました。
同業者を頼る事で、短時間でお手軽にスッキリできる場合もある事を知ってしまったからです。『お手軽に』というのは、 禅寺で使う膨大な精神力や忍耐力や時間と比べると、という意味です。
たまに行くと、やはり私の原点はここだと認識させられます。
迷いや悩みが無くても、たまに行くようにしたいと思うのですが、凡人の私にはなかなかそれが難しかったりしますね。

専光坊さんで体験するのは内側からの気づき
外からの気づきではなく内側からの気づきが欲しくて私は専光坊に行くのです。
信頼している師匠や、チャネラー、ヒーラーの言葉は今日・明日どうしたら良いか?というヒントにも、なります。
場合によっては人生が変わります。気づきの手助けにもなります。
瞑想やヒプノで、ハイヤーセルフや過去世からなどのメッセージを受け取るのも
同じく。
腑に落ちたら役に立ちますし、腑に落ちなくて、役に立たない場合もあります。
本当は腑に落ちていないのに、落ちたと思いこんで、頭だけで信じて、かえっておかしなことになっている場合も時々あるようですけども。
スピリチュアルは諸刃の剣です。
腑に落ちる場合でも、頭からやってきて『胸』に落ちる感じです。『腹』までは…あるかもしれないけど少ない…かもです。
それはそれで素晴らしい事なのですけれども、本当に自分が知りたい本質的な部分に関しては…
頭からやってきて、胸にや腹に落ちるのではなく、胸から湧いてくるものでもなく、中から(お腹から)先に湧いてくるものが大切なように思います。
「腑に落ちる」というのは「落ちる」つまり上から下なのだけれども逆方向です。
それは、知識(誰かに聞かされて信じる事)でななく、体験(経験とは少し違います)として、事実や本質に繋がるように思います。
記憶…というのもあてになりません。最初の記憶自体、一面からしか見ずに偏って受け取めた事を記憶しさらにその後、人間の脳は、自分に都合よく記憶を書き換えるようにできているので記憶イコール事実ではないからです。
毎日の施術中のお客さんとのやり取りの中で、その証拠はたくさん…そこに気づいて頂き心境が激変した結果、今後が変わる事も多いです。
というわけで専光坊さんにお世話になるのは、知識でも、記憶でもない事実(真実とか本物とはたぶん違います、事実。かな)に触れるためです。



