ネガティブエネルギーも美しい
相手のネガティブなエネルギーに対して、『本人がそれに対してどう頑張ってるかまで見る』と、相手はその事を受け入れられるけれども、
『あんた、こんな悪いもんあるで、だからあかんねん。』という気持ちでは、相手は心を閉ざします。
この、どう頑張っているか見るの「見る」は、リーディング能力やチャネリング能力で見る事ではありません。
あくまで受け止め方です。ヒーラーにとってまず大事なのは、いかに情報を読み取るか?よりも、読みとった事をどう受け止めるか?だと思います。
オーラの中に刺さっていたり、巻きついていたり、手かせ足かせ等の異物や、濁った色、黒っぽい色、チャクラの詰まり・・・・それらは、怒り・悲しみ・嫉妬・恨み・思い込み・トラウマ・こだわり、もしくは単純に体の冷えや肉体の病気・疲れ等々。
本人とっては無い方が楽(あるとしんどいもの)=ネガティブエネルギーと表現する事にします。
オーラやチャクラの中にも、愛・思いやり・喜び・希望などのエネルギーももちろんあって、それらはオーラを濁りのない鮮やかな色にするし、本人や周りを楽にする。=ポジティブエネルギーと表現する事にします。しかし。ネガティブもポジティブも、本人を楽にするかしんどくさせるかの違いだけであって・・・
どちらも光である事には変わりなく、神聖なものであり、価値は全く同じである、と思います。私が見ているオーラはすべて美しいからです。
単純に「色」ということで考えてみましょう。
鮮やかな色だけが美しくて、中間色や、薄い色、濃い色、くすんだ色、濁った色、黒っぽい色、茶色っぽい色が、美しくないわけでは無いのと同じです。
オーラの中で刺さってたり、巻きついていたり、チャクラの中でドロドロしてたり、固い壁とか、ガラスの破片みたいなのも、いろいろ見ていますが・・・
実は全部キレイなのです。美しいのです。
どんなにそれが本人を苦しめていたとしても。
なぜ人はネガティブエネルギーを持つのか?
何故、人はネガティブエネルギー(自分をしんどくさせるエネルギー)を持つのでしょう?
「大いなる勘違い」なのかもしれません。
※どの角度から観るか?で答えはいくつもあります。深い所から見たらもっと違う答えもあります。あくまで一方向=現実的な見方の中のさらに一つの答えですが。
「勘違い」する理由には、人間の弱さや浅ましさがありますが、実は他人への優しさも含んでいるからややこしいです。それはともかく。
※「勘違いに気づく」とは、「あ!そうか」と「ま!いいか」この2つの言葉に集約されるのだそうです。(黒丸尊治著『心の治癒力をうまく引き出す』より)
「勘違いだった」と気づきさえすれば・・・ヒーラーが掃除してあげなくても、自分から手放せます。
だから私は、気づいて頂く為に、読んだ情報を伝えたり、お客さんにいろいろ質問をしていきます。
もしくは、読めなくても会話しなくても、先に掃除を手伝う事で、気づく場合もあって、それはどっちだって良いと思います。どちらにせよ、
「勘違いだった」と気づく「キッカケ」を出す事しか、ヒーラーはできません。
それを受け入れるかどうかは、本人次第です。タイミングというのがあります。
タイミングじゃないときは、本人にとって、まだ持っておかねばならない理由があります。たとえ、他人から見て、遠回りであっても、苦しそうであっても、人は自分の納得するようにしか進めません。他人から見て
「アホやな~。それでは本人がしんどいやろう」
という事であっても、本人が
「やるだけやって納得してから。だから今はまだ」という選択をしているなら、
しんどい経験はその人にとってまだ必要なものなのです。しかも貴重かつ神聖な経験です。
そして、たとえ時間はかかっても、その人が、そのネガティブエネルギーを手放す時は必ず必ずやってきます。(そのように宇宙はできている、らしい。)
明日か?1か月後か?300年後か?1万年後か?はいろいろあれど。
そこを信じられさえすれば、「何もせずに、ただ見守る」というエネルギーを送るのは簡単なのかもしれません。
不思議な事に人はあまのじゃくだから、そのように扱われるとかえって、気づくまでの時間が早まる事も多いです。
『無理強い』されるとかえって逆方向へ行く時もあるのと対照的に。。。。。
職業に関わらず、テクニックではなく、心底からそれができる人こそ、本当に深い癒し手だと思います。
しんどい事をあえてしている他人が気になるなら、「勘違いやと思うけどどうかなあ?」と伝える努力はしたら良いです。むしろ、しなくちゃいけない時もあります。
ただし実は自分の方がもっと勘違いをしている場合もありますから、できれば提案という形で、伝える努力だけしたら、結果は、本人と宇宙に任せるのが良いと思います。
というより、それしかできません。
本人が今はしんどい選択を手放せなくても、本人の選択は尊重しなくてはなりません。というより、それしかできません。人間には他人の選択を無理やり変える力など無いし、
力で無理やり・・・をしてしまえば、一時的な好転はあっても必ず、しっぺ返しが来ます。
かえって遠回りをさせてしまうことになるかもしれません。その人が気づく瞬間に立ち会えなくても、いつかその時のために役に立てるかもしれないから、それだけで良いです。
えらそうなこと言ってますが、私も人間弱いし我が強いから、できない時も多いです。仕事中は以前よりはできるようになったと思うけれども、身内や友人に対してはなかなかと難しいです。
これは、そう簡単な境地じゃないのです、できなくたって今は良いのです。徐々に進むのです。
自分のお掃除
冒頭に書いた・・・・相手のネガティブなエネルギーに対して『本人がそれに対してどう頑張ってるかまで見る』と、相手はその事を受け入れられるけれども、『あんた、こんな悪いもんあるで、だからあかんねん。』という気持ちでは、相手は心を閉ざす。
さて、この「相手」の部分を、「自分」と置き換えてみましょう。
自分のネガティブなエネルギーに対して『自分がそれに対してどう頑張ってるかまで見る』と、自分はその事を受け入れられるけれども、『あんた、こんな悪いもんあるで、だからあかんねん。』という気持ちでは、自分は心を閉ざす。
今まで持っていたけれど、手放すタイミングが来た時、「こんなもんイラン」と嫌って手放さないで、「今までありがとう、あなたのおかげで良い経験ができました。今、お別れの時が来た」といって手放す方が、今後の展開がかなりスムーズです。
どんなに「醜い感情」であっても、「馬鹿な勘違い」であっても・・・それは今までの自分に必要があったもの。貴重な体験。とても神聖なもの。そして今後必要無くなった。ただそれだけです。
実際に家の中のゴミを出す時に、そのゴミは、かつては大切だったり何か意味や必要性がであったものの筈です。
捨てる時に、感謝しつつ「今までありがとう」といってゴミ出しをするほうが、
ゴミを嫌いながら出すよりも、気持ちが良いです。
人は不要なものを大切にしすぎていつまでも持っている傾向があります。だからしんどくなるのだ、と思います。
執着を捨て、「良い思い出」も「悪い思い出」も、昨日は昨日、今日は今日、5分前は5分前と、どんどん捨てて行けると人は楽に生きられます。
どんな出来事も経験として消す事はできないし消す必要も無いですが、「それにまつわる感情」は捨てて行った方が楽に生きられます。
※嫌な感情だけでなく、楽しかった&嬉しかった感情も、その時限りでサラサラ捨てられると楽ですが、長く持ち続けるとネガティブエネルギーに変わります。
(あの時はこうだったのに・・・とかになりますから)でもそれは楽かどうかというだけです。
長らく捨てられない事でしんどい経験をする(した)のも、それはそれで理由がある(あった)のです。貴重な経験である(あった)のです。
それを持ちつつ頑張っている(頑張った)自分がいます。そして「あ!そうか」もしくは「ま!いいか」と気づいて手放す事ができたところで・・・
その後の自分が、偉くなったり賢くなるわけでもありません。(つい勘違いしちゃいますけどね)
ほんの少し楽になるだけ。そしてまた次のゴミは溜まります。また捨てる→又溜まるの繰り返し。
今ご飯食べてお腹いっぱいになっても時間が立てば又お腹がすくのと同じです。
家の掃除をしてもしてもホコリは溜まるし、ゴミは捨てても捨ててもまた溜まります。
それが人生修行なのでしょう。
大きな気づきを果たしたら果たしたで、人はその喜びを長く持ちすぎて「安心」は「油断」に変わり、賢く&偉くなったように勘違いしたり、気づく前とはまた違ったおかしな方向へ行ってるのに気がつかなかったり。
自分の心の窓がキレイになったら他人の心の窓の汚れがよけいに気になったりして、そこでもう別のネガティブがくっつき始めてたり。
そんなことに気づいて又それを捨てる・・・・・上がったり下がったりしながら掃除を少しづつし続けないと、成長しない。人間ってそんなものかな~と思います。
何かに気づいて何かを手放した時・・・これまでの愚かな自分も、これからの愚かな自分も・・・人間である限り愚かな事には変わりありません。そして神聖なものであることにも変わりありません。それだけの事です。
心のボトルネック
『悪いところを見ずに良いところを見ましょう』というのは確かにそれが良い時も多くありますが、場合によりけり、です。
掃除をするには、すでに片付いている所や、きれいになっている所を探すよりも
片付いていない所や、汚れている所にフォーカスすると思います。
また、症状があって病院に行く時は、どこが悪いのかや、原因を知りたいのであって、健康な所だけを診て健康ですよ、と言われても困ると思います。
人様をよりよくするお手伝いをするのに、良いところを伸ばす方法と問題点を探してなんとかしようという方法がありますが、
エネルギーのお掃除ということに関しては、後者です。『 心のボトルネック 』 というとわかりやすいかも、です。ボトルネックとは、
IT用語辞典 より
コンピュータの処理速度やネットワークの通信速度の向上を阻む隘路(あいろ)となっている要素。「瓶の首のように細く、詰まりやすい」という意味に由来している。コンピュータやネットワークのシステムは、様々な要素が複雑に絡み合っているため、全体の性能の向上を図ろうとしても、どこか一ヶ所が妨げとなって性能が上がらないことがある。こうした要因がボトルネックと呼ばれ、システム性能向上のためにまず解決しなければならない部分となる。
そうです。全体を向上させるためにこそ、ボトルネックを探すのです。
何がボトルネックなのか?探すのは難しいかもです。たんに重箱の隅をつつけば良いというものでもありません。
ちなみに相談者の主訴(主な訴え)はボトルネックではありません。主訴は原因では無く結果である事が多いからです。
人様の掃除中、咳き込むことについて
他人のエネルギーを掃除をする時に、私は情報を読もうとして自分をあえてセンサーにしているから、排出の際に、たまにせき込んだりする時があるけれども、
例えばホコリの巻き添えをくらって咳き込むのでは無いのです。排出の合図みたいなものです。
(もしくは自分のネガティブエネルギーも一緒に排出されているのかもしれません)
怒りや嫉妬などのエネルギーの影響を受けて、自分もしんどくなったり嫌な気持ちになったりしているわけでは全く無いです。
仕事をする中でしんどい事は確かにあるが理由がそこでないのは確かです。なぜなら怒りや嫉妬だって、神聖なエネルギーだと思っているから。他人の心の掃除を手伝うということは、すなわち自分の心の掃除をするということ。
ゴミを出すというのは、家の掃除であれエネルギーの掃除であれ、本来すがすがしい事です。
せき込んだりした時にお客さんに「すいません」と恐縮されると、
「こちらこそ恐縮させてすいません。いや~、ありますよね、お互いにね~いろいろね~。私なんてもっとすごいの持ってますよハハハハ。手放してくださって有り難う!咳が出た時って嬉しんですよ実は~。」
という感じです。皆様、恐縮させてすいませんでした。